

2006年ごろ、冨永昌敬監督は書店で末井昭著「素敵なダイナマイトスキャンダル」(ちくま文庫刊)を手にする。ここからすべてが始まる。
そのときは、ああ「パチンコ必勝ガイド」のCMの人が本を出してるのか、と。僕は世代的に「写真時代」を通ってないので、この本を手に取るまで末井さんの正体を知らず、ゴンゾーロ末井はパチンコ業界のタレントだと思ってました。だから読んでびっくりしましたよ。余計なことを考えさせない魔法のような文体で、ご自身の半生を書かれた前半はもちろん、1981年当時の日々の雑記まで最高に愉快で。キャバレーやピンサロの看板づくりとか、ヌードモデル斡旋業のマナベさんの話とか、警視庁風紀係とのかけひきとか。自伝的エッセイでありながら、エロ雑誌業界のルポでもあって、著者は自分のことよりも周囲の面白い人たちのことばかり書いている。末井さんという方は本当に人間が好きなんだな、と思いました。やがて、この楽しい世界を映画で観てみたい、いや、自分が映画化したい──と考えるようになって、プロデューサーの西ヶ谷さんに映画化の相談をしたのが2009年、『パンドラの匣』という作品を公開したころですね。で、翌年に最初の打ち合わせをしたのを憶えてます。
「素敵なダイナマイトスキャンダル」を読んだ6年後の2012年夏、冨永監督は著者の末井昭に会い、想いを打ち明ける。
作家の戌井昭人さんの「松竹梅」という小説の出版記念イベントがあって、その座談会に戌井さん、末井さん、
南伸坊さん、
秋山道男さんが登壇されると知って観に行きました。一人で喫煙所にいた末井さんに、映画化したいですといきなり伝えました。もちろん末井さんはキョトンとしてましたね。「どういうふうに映画化するの?」と。何てお答えしたのかはもう思い出せませんけど緊張しました。とにかく早く末井さんに許可をもらわないと、よその映画会社に取られてしまうんじゃないかと。その心配は、企画が通って準備稿が印刷されるまでずっと続いたんですよ。もちろん企画の成立に焦りを抱くのはいつものことだし、誰にでもあることでしょうけど、やばいなと思いました。
こんな面白い本を放っとくのはまずいぞと。本屋さんで復刻版が積んであるのを見ると、自分以外の映画関係者の目に触れないように隠したくなりました。
シナリオ執筆という孤独な作業、日々繰り返される試行錯誤に光をもたらしたのは、末井昭の新たな著作だった。
「素敵な」に書かれてるのは1982年、「写真時代」創刊の翌年まで。「東京爆発小僧」も「東京デカメロン 風俗異人見聞録」も、南伸坊さんの「さる業界の人々」も同時期です。それ以降の末井さんの歩みは、「素敵な」から約30年後に刊行された「自殺」(朝日出版社)に詳しいですね。で、読んでやっぱり驚きました。「素敵な」の愉快さとはちがって、胸にしみるような文体で綴られてる。
1988年に「写真時代」が発禁になって、末井さんは現実逃避のようにパチンコ屋に入り浸りました。で、自分と同じようにパチンコに逃避してる人たちを知って、彼らの話し相手になるような雑誌の創刊を思いつく。
このへんの思考は本当に末井さんらしくて、ラストにふさわしいと思いました。
冨永監督にとって今回の主人公を演じるのは柄本佑以外考えられなかった。柄本は、ひとりの青年が男へと成長する過程を見事に演じきる。
佑くんは出演作によって顔がまったくちがいますよね。陰影というよりも謎の部分があって、不細工にも男前にも見える。ある場面を境に、それまで長かった髪が短くなるんですけど、そこは「昭」の過剰な自意識が薄れていった時期です。佑くん、このあたりから顔つきも変わってくるんですよ。革命的デザイン論を語ってたころの剣呑な顔に、やがて微笑を浮かべるようになって、さらにデモーニッシュな目をカメラに向けるようになる。この映画はカメラ目線のアップを多用してます。そのほとんどが「昭」に向けられた、彼の屈託を煽る他者の眼鏡越しの視線なんですが、ひとつだけ佑くんの不気味な眼光を捉えた画があります。もう別人みたいですよ。ゾッとしました。

主人公をめぐる女性たちは、それぞれに謎に包まれていた。冨永監督は原作の行間から、そして末井昭の言葉から、彼女たちの人物像をつくりあげていった。演じるのは、前田敦子、三浦透子、尾野真千子の豪華女優陣。
「素敵な」があまりに愉快すぎて、母親の死が末井さんの人格形成に繫がってるように思えなかった。それが『自殺』を読んで変わりました。末井さんは今でもお母さんに対して熱い思いを持ってるんですね。さあこれから死ぬっていう晩に、「富子」が息子たちの寝顔を見に帰ってくる場面は、絶対にあたたかく描きたかったところです。この場面の尾野さんの美しさは際立ってると思います。末井さんが雑誌の仕事で忙しくなったころの夫婦関係がよくわからなかったんですが、ご本人に聞いたら「奥さんは家で動物の世界をつくってましたねえ」と答えたんですよ。動物の世界……。ふだん自分の妻が家で猫三匹に話しかけてる姿を思い出して、ヒヤッとしましたよ。アパート暮らしだったころの「牧子」が、「昭」が描いたピンサロの看板を嬉しそうに見上げるんですが、この場面の前田さんは、見ていて他人事の気がしなかったですね。「笛子」という女性のモデルは「自殺」に登場するFさんですけども、彼女については末井さんの書き方も特に生々しいというか……。自分が若いころに追っかけまわしてた女の子のことが嫌でも思い出されました。Fさんは「ウイークエンド・スーパー」時代の編集部で働いてた方なので、彼女の言葉が誌面にちらほら載ってます。三浦さんには、あくまで参考として、そういったページを読んでもらいました。
本作では多くの実在する人たちをモデルに登場人物がつくられている。が、役の名前に実名を使っているのは一部に限られている。末井昭のデザイン会社時代の先輩で親友の近松さんはそのひとりだ。
「素敵な」では“友人”だったのが、「自殺」やwebアックスに連載中の「流れる雲のように」では“近松さん”と実名表記になってます。キーパーソンですね。
この近松義男さんに、キャバレー時代の同僚だったヤマザキさんという方と、エロ雑誌業界の先輩の櫻木徹郎さんのエピソードを足して、お三方をモデルに「中崎」という一人のキャラクターをつくろうとしました。
名前の由来は、やはり同業のご友人の中澤慎一さん、山崎紀雄さんです。つまり「昭」が、デザイン会社で知り合った親友(近松)が、キャバレーの宣伝課の同僚(ヤマザキ)でもあり、やがてエロ雑誌の世界でともに名を売り出してゆく(櫻木、中澤、山崎)という設定で。かなり無理のあるハイブリッドですよね、五人を一人にするというのは。そしたら末井さんが「近松さんは全然ちがうんですよ」と。確かに近松さんだけはエロ雑誌に携わる以前の友人で、デザイナー仲間として末井さんがすごく影響を受けた人なんですね。内面の屈託を照らし合った仲というか。二人して詩人みたいになっていた、みたいに書いてるほどですから、「全然ちがう」の意味は大きいわけですね。この指摘は大事なヒントになりました。で、近松(峯田和伸)と中崎(中島歩)という二人のキャラクターに落ち着いたと。
菊地成孔が冨永作品の音楽を担当するのは『パビリオン山椒魚』(06)、『パンドラの匣』(09)に続いて3作目。今回はさらに俳優として、写真家・荒木経惟をモデルとした「荒木さん」役を演じてもいる。
前々から成孔さんは荒木さんに似てると思ってました。その才能の大きさも似てる。言葉で体ができてるかのような、虚実すれすれの身体性も似てる。また成孔さんは「写真時代」を読者としてリスペクトしてもいる。荒木さんが末井さんの兄貴分なら、
成孔さんの音楽にガツンと影響を受けた僕も、成孔さんをそんなふうに見てるのかもしれない。とか。だから成孔さん以外のキャスティングは考えられませんでしたよ。が、その出演依頼は頑として断られました。もうバッサリ全面拒否ですよ。音楽は絶対やるけど出演はダメだと。なので、直前になって出演も引き受けてくれたのは本当にびっくりしたんですよね。成孔さんはラジオで「金の力に負けた」と笑ってくれましたけどね。旅館の場面は面白かったですよ。現場では「台本を1.5倍に膨らませてください」とお願いしただけで、ほぼ成孔さんのアドリブですね。


10年以上前に「素敵なダイナマイトスキャンダル」の文庫を手にとった冨永監督が、映画を撮り終えたいま、あらためて語る。
末井昭とは何者なのか。
変身する賢者だと思います。「素敵な」を初めて読んだときに胸が無性にザワついたのは、末井昭という人物の、鮮やかだったり突拍子もなかったりする変身の過程を知ったからです。お母さんがダイナマイト心中したという過去それ自体よりも、それによる屈託の連鎖が末井さんを変身へと促したことにザワっとしたんです。まず母親の事件があって、だから村で差別を受けて、だから村を飛び出した。でも、学校一の成績優秀者だったのになぜ工員になったのか。そんなに秀才だったらいい大学に進んで、大企業にでも就職して名士になって、村の人を見返してやりたい、と考えるのが、良し悪しはともかくフツーの昭和の男の発想だと思うんです。なのに、小学校の社会見学で見た工場が格好よかったから工場に就職、ですよ。いや、学力よりも感覚を優先したのはアーティストらしくて理解できます。が、それからグラフィックデザイナーを目指すようになったのに、なぜキャバレーに転職したのか。なぜエロ雑誌の第一人者と呼ばれるまでになったのか。こういう「なぜ」の答えが、末井さんの場合いちいちユーモラスで、しかし生きる知恵に溢れてるんです。だから末井さんの伝記がこれまで映画化されてなかったのが、僕からすれば不思議でしたね。

1975年生まれ、愛媛県出身。映画監督。おもな劇映画作品は『亀虫』(03)、『パビリオン山椒魚』(06)、『コンナオトナノオンナノコ』(07)、『シャーリーの転落人生』(08)、『パンドラの匣』(09)、『乱暴と待機』(10)、『ローリング』(15)、『南瓜とマヨネーズ』(17)。ほかにドキュメンタリー、オムニバス、ドラマ、MVなど監督作品多数。
